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創業者 小笠原のごあいさつ message

御堂筋税理士法人&
株式会社組織デザイン研究所

創業者小笠原 士郎

私たちは、会計事務所として中小企業の財務と経営に深く接してまいりました。そして経営者の方々との対話の中から、経営者の持っておられる使命観、やりがいや願い、そして悩みをお聴きしてきました。しかし、話をお聞きするだけで問題解決に具体的な手を差し伸べることができない自らの無力さに、くやしい思いを感じてまいりました。

そこで、何とか中小企業が持つ問題を解決したいと願い、そのための経営改善の理論や技術を学び、実務に適用し、そして経験の中から「知識」を蓄積してまいりました。

自由主義市場経済体制の現代社会において、企業とそれを率いる企業経営者の果たす役割には崇高なものがあると考えられています。社会に貢献する製品やサービスを提供し、人々の雇用を守りつづけるべき企業を指揮する経営者には、一私人を超えた公的存在としての使命があります。

しかし、中小企業経営者の80%は営業や技術の出身といわれており、そのマーケティング力や生産技術力には非凡なものがある一方、財務やマネジメントのことは専門外だとおっしゃる方が大多数です。しかし企業として財務やマネジメントに強くなることは、企業の発展にとっての必要条件です。

私たちは、経営者の豊かなマーケティング力や直感力を財務とマネジメントの面から支援し、企業成長に結び付けられるように願っております。そのために、メンバーが、日々知識と人格の修練を積み、経営者の無二のご相談相手になりうるように努力して続けている集団です。そして、一人々々がきらり輝く能力を身につけ、皆様のお役に立ちたいと願っております。ぜひ私たちと手を携え、あなたの企業発展のために問題解決に取り組もうではありませんか。

経歴

昭和27年11月 大阪市天王寺区上本町6丁目にて出生
大阪市立五条小学校、夕陽丘中学校、大阪府立高津高等学校各卒業
昭和51年3月 大阪大学経済学部経営学科卒業
昭和51年4月 久保田鉄工株式会社(現株式会社クボタ)入社、同社恩加島工場現場実習を経て、
同年8月より同社久宝寺工場勤労課 および資材課勤務
昭和55年9月 同社退社
昭和55年10月 出口正門税理士事務所(大阪市天王寺区所在)入所
昭和60年12月 税理士試験合格(簿記、財務諸表論、法人税法、所得税法、相続税法)
昭和61年2月 税理士登録(登録番号57911)
平成1年9月 社団法人大阪青年会議所入会(平成4年卒業)
平成3年6月 大阪市天王寺区六万体町にて開業
平成14年4月~
平成24年3月
近畿大学 企業家コース非常勤講師
平成18年5月~
平成27年3月
大阪産業創造館「なにわあきんど塾」メイン講師
平成21年4月~ SMBCコンサルティング 税務相談担当顧問
平成23年1月 税理士法人化
平成26年5月~ 大阪商工会議所中小企業委員会 副委員長
平成27年10月~
令和5年5月
りそなマネジメントスクール 事業計画担当講師
平成29年2月19日 代表社員退任、社員ファウンダー就任
平成30年5月~ 公益法人日本WHO協会監事
令和4年12月 株式会社レオクラン(証券コード7681)社外取締役就任

小笠原・私自身のこと

1952〜 子供のころの家族の写真

昭和27年(1952年)11月17日、私は、大阪市でおすし屋の次男として生まれました。家族も従業員も皆いっしょに暮らし、親戚もたくさんいる。そんな商売人の家に育ちました。

商売人の子どもは、小さいころからお店の手伝いをします。皿洗いにレジ番、注文聞き、お客さんの呼び込み、中学生のころからは、お店の帳面も付けました。いつのころからか、将来は税理士になって経営者を助けたいと思うようになりました。それは、お世辞にも優秀な経営者とは言えなかった母をずっと見続けて、無力だった子供の私がもっていたアンビバレントな母への思いが強い心のエネルギーとなったと思っています。

1976〜 出口先生

五条小学校、夕陽丘中学校、高津高等学校を経て大阪大学経済学部経営学科を卒業し、久保田鉄工(現 株式会社クボタ)という会社にお世話になりました。

新入社員の実習は、大正区にある鋳物工場でした。4ヶ月もの間、灼熱と騒音と粉塵の現場で汗をかかせていただき、そこでもの造りの大切さ、現場の方々のご苦労を肌で知りました。今でも忘れられない貴重な経験です。

その後大阪府八尾市にある工場に勤務し、給与係や自動販売機の資材係をしましたが、税理士となる夢を実現すべく、5年で退社しました。後ろ足で砂をかけた退職でしたが、それにも関わらず、このあたたかい会社は私に多くの子会社のお仕事をくださり、感謝しきれない思いです。

そして実家近くの「出口会計事務所」にお世話になりました。出口先生に教えていただいたことは、税理士としての心構えでした。本当に良い師匠に出会うことができました。「小笠原!大阪一、日本一の税理士になれ!」というお言葉は、常に私の背中を押してくださっています。5年後、遠回りしましたが税理士の資格も取ることができました。試験の合格通知が届いた日、支えてくれた家内が私以上に喜んでくれました。

1991〜 税理士小笠原事務所を開業

平成3年(1991年)6月3日、出口先生のご支援で独立しました。最初の事務所は、天王寺区、その後、中央区に事務所を移しました。

私は、勤務時代から、経営計画に取り組んできました。経営会議、様々な経営課題のソリューションへとお客様との取り組みも進化し、今に至っています。

「自彊不息(じきょうやまず)」、私の好きな言葉です。勉強は一生止むことはないという意味だそうです。私の経営思想の師はピーター・ドラッカーさんです。そして、修養の師は森 信三先生です。右手に「マネジメント」、左手に「修身教授録」。お客様に大いなるご満足と信頼をいただくためにはもっと学びを深めていかなければなりません。そして、スタッフを育てなければなりません。終わりない道のりですが、倦まず歩んでいこうと思います。

お客様といっしょに会社が良くなる取り組みをしているとき、とても強い気持ちが湧くことがあります。あるときはお客様を父のように、またあるときは兄のように、弟や妹のように、友達のように、そしてあるときは息子や娘のように。そのとき思うことは、これは亡き母へしてあげられなかったことの代償行動なのだと。

私の楽しみは、見知らぬ色々な街を歩き、おいしい魚をとお酒をいただき、多くの人と語らうことです。春は深い山に渓魚の姿を求め、野原で山菜を摘み、夏は青い海で水とたわむれ、遠くに旅をし、冬は万年初級者のスキーで遊んでいます。楽しむときは子供のように思いっきり楽しむ…いつかご一緒して、語り合えることを楽しみにしております。